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白鳥庭園俳句大賞


第8回 白鳥庭園俳句大賞 結果発表

令和5年10月~令和6年2月末の約5か月間、白鳥庭園の写真をテーマにした写真詠と白鳥庭園をテーマにした当季雑詠をwebと庭園内の投句用紙にて募集いたしました。今回は、総勢822句のご応募がありました!皆様ありがとうございました。
今回は令和6年4月14日の「白鳥庭園開園記念日」に、白鳥庭園にて若林先生に直接講評をいただき、オンラインで配信するという形になりました。その時の様子は後日、白鳥庭園公式Youtubeにアップする予定です。
選者プロフィール
若林哲哉
1998年 静岡生まれ。金沢育ち、名古屋在住。
2019年 第二回全国大学生俳句選手権大会グランプリ。
2019年 第九回百年俳句賞最優秀賞。句集『掬ふ』(2020年マルコボ.コム)
2020年 第十二回石田波郷新人賞準賞。
2021年 金沢大学学長賞(芸術・スポーツ部門)
2023年 南風新人賞。現、「南風」同人。
2024年 第十四回北斗賞。

総評

今回も多数の御応募をいただき、ありがとうございました。回を追うごとに佳句が増え、受賞作の決定には毎回苦心します。惜しくも受賞を逃した句についても、受賞作と伯仲する作品が多くありました。また、高校生の部および小中学生の部については、応募総数が少数であったことから、賞の数を絞っておりますことを申し添えます。
 俳句には、「何を書くか」という面と、「どう書くか」という面があります。双方で個性を発揮することが出来ればそれ以上に素晴らしいことはありませんが、それは大変に難しいことです。今回の選句を振り返ると、そのどちらかにおいて惹かれた作品を受賞作として選定したと言えましょう。
第九回の大賞にも、珠玉の作品が寄せられることを心待ちにしております。

白鳥庭園の写真詠テーマ写真

写真は「白鳥庭園インスタグラムフォトコンテスト」より

【写真詠】

受賞作品

一般の部

紅葉の盛り、あかあかとした葉が夕映えの光の中を散る。単なる夕暮れではなく、「底の底」という深淵を湛えた夕暮れ。深い谿谷のような場所を想像してもよいが、現実の景色でありつつ、心象風景が綯い交ぜになっているとも感じさせる。「紅葉かつ散る」、眼前の美しい紅葉を愛でるとともに、秋が終わり、草花の枯れ荒ぶ冬へと移り変わる。季節の移ろいという時間の流れ、そして、「底の底」という心理と一体化した見通すことのできない空間の深み。それらの要素が、古来よりの美しい景色の中に見出される滅びの気配を言葉に纏わせていると言えるだろう。

二人で「自撮り」をしていると思しき人物が題材写真に写されていたこともあり、それを詠もうとした句は多かった。その中で、掲句では、性質の異なるものどうしの瞬間的な結びつきを、リズムよく言い留めた。「自撮りツーショット」はシャッターを切る一瞬、「初雪降り始む」は、雪の降り始めを知覚した一瞬である。ツーショットに映っているのは、恋人どうしでも、友人どうしでも、親子でもよい。季語も相まって、いかにも楽しげな様子が伝わってくる。

「こはし降る」という複合動詞が一句の要である。飛んでいた鴨の群が、一斉に降りてくる。鴨がやって来るまでは、しんと静かな水面に空が映っている。水面を打つ雨のように、そこに映った空を壊すかのような勢いで、飛沫を上げながら次々に鴨が着水する。ダイナミックな景色を巧みに言い留めた一句だ。

真鍮のバングルを手首に嵌め、花野に佇み、歩いてゆく。バングルの細さを描いたことによって、どことなく手首の方も細いのではないかと想像される。自らを飾りつつもどこか儚げな人物と花野が似つかわしいとともに、秋の冷ややかな空気と真鍮の質感がよく合っている。

キッチンカーや屋台でフライドポテトを買ったのだろう。長いポテトを一本見つけたのだ。特に大事件というわけではないが、俳句では大事件を書かないといけないということもないだろう。凩が吹き付ける中の、どこか心が温かくなる発見。細やかな幸福感が伝わってくる。

謝辞を書いているのか、あるいは、読んでいる本の巻末に載っている謝辞を読んでいるのだろうか。確かに、謝辞は読み飛ばされることも少なくない。「麗らかさ」とは、すなわち、春らしく大らかな遊び心であると解した。「足さん」という意思の述べ方が不敵だ。

高校生の部

どんな場面を描いているのかは、読者の想像に委ねられている。ここでは、作者の美意識の中で構築された世界だと読みたい。水仙の咲き並ぶ坂で、燐寸に火を点した。「炎えたたす」と描いたことによって、火の勢いや揺らめきが印象づけられる。「水仙の坂」には、冷ややかで湿った空気が満ちつつ、燐寸の炎の質感が、対比的に鮮明なものとなっていると言えるだろう。

「は」という助詞の働きを細やかに読み取ると、他の季節と対比して、他ならぬ初冬だからこそ夜の池を見て回るということだろう。きっと、この主体の中には、季節ごとに似つかわしいと感じる風物がそれぞれあるのだ。「はつふゆ」、寒さが次第に厳しくなり、植物は枯れすすみ、池に棲む生き物たちも静かになりはじめる頃。秋の名残を惜しみつつ、冬の到来を感じようとする心持ちが伝わる。

小中学生の部

「すーっと」という言葉によって、タンポポの上に広がる夜空が、一点の曇りもなく澄みわたっているのだということが伝わる。この夜空は、「わたし」にとっての夜空でもあり、タンポポにとっての夜空でもある。タンポポのような温かい黄色の光を放ちながら輝く星も見えてくる。